
CASE-084 / 未解決
投稿者および関係者の個人情報は削除・改変しています。資料の真偽については各自でご判断ください。
投稿者はホンダと名乗る30代の男性だ。件名は「携帯の契約について」。相談の内容にしては、あまりに事務的な題だった。
「手続きの話です」。この一行を、私は最初、事務的な人の断り書きとして読んだ。あとで読み返すことになる。
家族と十年会っていない人の回線が、その家族の名義になっている。このねじれには、必ず誰かの署名が挟まっている。私はそう返信し、契約履歴の開示を勧めた。
契約者は祖母である。したがって履歴の開示も、本来は祖母が請求しなければならない。ホンダ氏は祖母に事情を説明し——妹が亡くなったことは伏せたまま——委任状に署名をもらった。「あの子の電話のことなら、書くわ」と言われたという。
届いた書面には、一回線分の名義の移動が、十三年ぶん並んでいた。
2016年04月 名義変更 父 → 本人
2018年09月 名義変更 本人 → 母
2021年02月 名義変更 母 → 本人
2022年05月 名義変更 本人 → 母
2026年04月 名義変更 母 → 祖母
六回。十三年で、一つの番号が六人の名義を渡り歩いている。
家族全員が関与していて、家族の誰も話題にしていない。まずこの点を、私は書き留めておいた。
ここで一つ、確認しておかなければならないことがあった。
携帯電話の名義変更——契約上は「譲渡」という——は、片方の意思だけでは成立しない。譲渡する人と譲り受ける人、双方の本人確認書類と署名が必要になる。家族だからといって、勝手に付け替えることはできない。
つまり、六回のすべてで、妹本人が署名している。
家族が一方的に名義を奪ったのでも、押しつけたのでもない。妹は毎回、自分の意思でそれに応じていた。
十年間、実家に帰らず、電話もせず、住所も知らせなかった人が、名義変更の同意書にだけは、六度、名前を書いていた。
同意書は、どうやって往復したのか。私はホンダ氏に、実家に書類の控えが残っていないか探してもらった。
母の部屋の桐箱に、まとめて入っていたという。同意書の控えと、返送に使われた封筒が、年代順に。
送られてきた画像を見て、二つのことに気づいた。
一つ。妹の記入した住所欄は、どれも番地までで止まっている。部屋番号が書かれていない。几帳面でない人の書き方に見えるが、六回すべて同じなら、それは癖ではなく方針だ。
二つ。封筒には消印が残っている。差出局は毎回違う。
2018年09月 △△郵便局(同一県内・市外)
2021年02月 (店頭手続きのため封筒なし)
2022年05月 △△郵便局(同一県内・市外)
2026年04月 △△郵便局(同一県内・市外)
最初の一回で県外に出て、以後は同じ局の管内に八年いた。番地までなら、封筒の差出人欄を見れば分かる。家族は、妹の居場所を断続的に知り得る立場にいた。にもかかわらず、誰も訪ねていない。
もう一つ、桐箱の底に、同意書とは関係のない紙が一枚あった。
コンビニのレシートだ。日付は2022年の秋。店舗名の下に印字された住所は、妹が住んでいた町のものだった。買われているのは、飲み物が一本だけ。
母は、一度は行っている。そして、飲み物を一本買って帰っている。
母に確認することはできなかった。ホンダ氏がレシートを見せると、母は目を閉じたという。
六回の名義変更のうち、方向がおかしいものが一つある。
2021年2月。母から、本人へ。家族が引き受けていた名義が、妹の側に戻っている。
この一回だけ、郵送ではなく店頭で手続きされていた。私はホンダ氏を通じて、当時その店舗にいた元店員に話を聞くことができた。五年前の一件を、その人はよく覚えていた。
払ってもらうのをやめたい、という手続きだった。
そして翌年の五月、名義はまた母に戻る。今度は郵送で、同意書には妹の署名がある。
妹の端末を、ホンダ氏が確認した。画面ロックは設定されていなかった。
連絡先に、家族の登録は一件もなかった。父も、母も、祖母も、ホンダ氏も。名前で検索しても出てこない。
通話履歴とメッセージも同じだった。家族との発信・着信が一件も残っていない。端末は五年前に買い替えられているが、引き継がれた古いデータの中にも見当たらなかった。
十年、この番号は一度も家族と繋がっていない。繋がらないまま、料金だけが払われ続けていた。
ただし、連絡先の中に、名前のない登録が一件あった。
固定電話の番号だ。市外局番から、実家のある地域のものだと分かる。
ホンダ氏に確認してもらった。実家の番号ではなかった。ただし、まったくの他人でもなかった。十年前に廃止された、実家の旧番号だった。ひかり回線に切り替えたときに、番号が変わっている。
妹は、繋がらない番号を持ち続けていた。家族は、繋がる番号を守り続けていた。
どちらも、かけていない。
2026年4月。六度目の名義変更が行われる。
母は三月に入院していた。引き落とし口座が凍結され、料金の未納が発生し、利用停止の予告が実家に届いた。契約住所は、十三年間、実家のまま更新されていない。
祖母が、家の固定電話からコールセンターに電話をかけた。八十八歳の高齢者にとって、この手続きは長い。本人確認、事情の説明、書類の郵送の案内。受付記録によれば、通話は26分に及んでいる。
終話 同日 15時24分
内容 契約者死亡・入院に伴う名義変更相談/回線維持の希望あり
一方、妹の端末に残っていた最後の発信は、こうなっている。
番号は、実家の現在の固定電話だ。
ここで一つ、確かめておかなければならないことがあった。妹の連絡先に、この番号は登録されていない。十年帰っていない家の、十年前に変わった番号を、妹はどこで知ったのか。
答えは、桐箱の中にあった。六度目の同意書に同封された送付状の「連絡先」欄に、祖母の字で実家の現在の固定電話番号が書かれている。書類の不備があれば連絡が来るように、というだけの記入だろう。番号が妹の手元に届いたのは、死亡推定日の一週間前になる。
実家の固定電話は一回線しかない。15時12分、その回線は使用中だった。祖母が、妹の番号を止めないための手続きをしている最中だった。
十年間かけなかった電話を、妹は一度かけた。話し中だった。
再発信の履歴はない。数日後、妹は自室で見つかっている。
祖母には、まだ何も伝えられていない。ホンダ氏がそう決めたという。祖母は手続きのことを覚えていて、私の質問に、こう答えたそうだ。
六度目の同意書も、桐箱に入っていた。日付は4月、消印は妹の死亡推定日の一週間前。
妹の記入した住所欄に、部屋番号が書かれている。六回のうち、これだけだ。
何のために書き足されたのかは、分からない。書類上、部屋番号がなくても手続きは通る。実際、前の五回は通っている。
分かっているのは、順番だけだ。実家の番号が書かれた紙が妹のもとへ行き、その同じ紙に、妹が初めて部屋番号を書いて返した。十年ぶりに、双方が相手の届く場所を知った。二人とも、その紙を書類として処理した。
もう一つ、ホンダ氏から遅れて届いた資料がある。実家の自分の机の引き出しに入っていた、名義変更の申込書だ。
日付は2019年。譲受人の欄に、ホンダ氏自身の名前と署名がある。宛先の記入も済み、切手も貼られている。
投函されていない。
そうとは限らない、と私は返信した。誰の名義であっても、支払いが止まれば同じ電話がかかる。妹の番号を生かしておくための通話は、いずれかの誰かが必ずすることになっていた。ただ、そう書いたところで、この人の中の勘定は変わらないだろうとも思った。
一点、思い出したことがある。ホンダ氏は最初のメールから一貫して、解約は自分がやると書いていた。祖母の委任が必要な作業を、この人は誰にも譲らなかった。七年前に出せなかった書類を、今度は自分の手で窓口へ持っていくことになった。
- 当該回線は13年間で6度名義が変わっており、そのすべてに妹本人の署名がある
- 同意書の返送封筒の消印と差出人欄から、家族は妹の居住地をおおまかに知り得る状態にあった
- 端末には家族の連絡先登録も、家族との通話履歴も一件も残っていない
- 実家の現在の固定電話番号は、六度目の同意書の送付状に記入されて妹のもとへ渡っている(妹の手元に届いたのは死亡推定日の一週間前)
- 2026年4月○日15時12分の発信(0秒)と、同日14時58分〜15時24分の名義変更相談通話は、時刻が重なっている
- 六回の名義変更について、家族が互いに相談した形跡があるかどうか
- 2021年に妹が名義を自分に戻した理由
- 最後の同意書に部屋番号が書き足された理由
- 15時12分の電話が、何を伝えるためのものだったか
- 妹の連絡先に登録されていた唯一の実家関係の番号は、10年前に廃止され、かけても繋がらない旧番号である
- 桐箱には、妹の居住していた町のコンビニのレシート(2022年秋・飲料一点)が保管されていた
- ホンダ氏は2019年に自分名義への変更申込書を作成し、署名も切手も済ませたうえで投函していない
- 祖母は、この回線の維持が何のためだったかを、家族の中で唯一ためらいなく説明できる人物である
家族は、相談しなかった。会議も、取り決めもない。通知が届いた人が、黙って次を引き受けた。六回とも、そうだ。
そして妹も、断らなかった。六回、署名している。やめてほしいと言った一度も、翌年には取り消している。
全員が同じことを考えていた。番号が消えれば、最後の線が切れる。だから守る。守り方だけは、誰にも相談しなかった。
十三年、この回線は一度も使われないまま維持された。維持する理由は、いつかかかってくるかもしれない一本の電話だった。その一本は、実際にかかってきた。そのとき電話は、回線を維持する手続きでふさがっていた。
このブログには、似た形の相談が何度か届いている。保険、年金、墓の管理費、入居保証人。会わなくなった家族のあいだに残るのは、たいてい支払いと、署名を要する書類だ。それは途切れない。途切れないことを、家族はしばしば、繋がっていることだと数える。
それでも、どちらかがもう一度かけ直していれば話は終わっていた、という言い方も、私はしたくない。祖母の通話は26分だった。その26分のあいだ、この家族は十三年ぶんの正しいことをしていた。
同じだと思っていたから、誰も番号を押さなかった。
- 家族が疎遠になった後も、料金の支払いだけが続いていた契約について、心当たりのある方
- 名義変更や保険の手続きが、家族間の唯一のやりとりになっていた経験のある方
- 故人の端末に、すでに廃止された番号が名前なしで登録されていた例をご存じの方
外されていなかった。十三年、一度も。名義がどれだけ移っても、割引の適用欄には妹の番号が残り続け、その明細が毎月、家族全員の請求書に印字されていた。
家族の誰も、その欄の話をしたことがない。誰も外さなかったことに、誰も気づいていない。妹の番号は毎月、家族全員の手元に印字されて届いていた。十三年、誰もそこを読まなかった。
妹の解約手続きは、8月に完了した。翌月の請求書から、割引の欄は消えている。
ホンダ氏は、その明細を私に送ってきた。添えられていたのは一行だけだ。
「これで、家族の人数が合いました」
