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投稿者はアオキと名乗る24歳の男性だ。今年の春から、閉局が決まった地方コミュニティFM局で倉庫整理のアルバイトをしているという。
以下、原文をほぼそのまま掲載する。
二つのことが気になった。一つは369と368の誤差。もう一つは、数年おきに廃棄が行われていたにもかかわらず、ヨアケマエのハガキだけが30年分すべて残されていた、という事実だ。
誰かが意図的に残した。そう読むのが自然だろう。ただ、その人物が誰なのかは、この時点ではわからなかった。
アオキが送ってきた写真は12点。すべて官製ハガキ、青のボールペン。30年間、一度も変わっていない。
最も古い1994年のハガキには、こう書かれていた。
穏やかな文面だ。筆跡は丁寧で、書き慣れた人の字ではなく、慎重に書いている人の字だった。「タムラ」は、この局で深夜帯の番組を20年以上担当していた元パーソナリティだ。
1990年代のハガキはどれも似た質感を持っている。季節の話、夜の空気の温度、聴いている音楽のこと。短く、穏やかで、不安になる要素はない。30年間続くものの出発点が、ここまで穏やかであることに、理由がないはずがない。
変化が現れるのは2000年前後だ。ハガキの末尾に、一文が加わるようになる。
今日は窓を開けませんでした。
今日は窓を開けました。
「開けました」「開けませんでした」。この一文だけが、本文のトーンから微妙に浮いている。報告、という言葉が近い。2001年後半からほぼ毎回現れる。
アオキが気づいた点がある。窓の一文の直前に、毎回一行分の空白がある。空白行の位置がハガキの右から3分の1で揃っている。数枚には、ペン先を紙に当てたまま書き出せなかった痕跡が見えた。
ハガキの右から3分の1の位置。縦書きの場合、それは宛名の書き出しに近い位置だ。
2005年頃から、文体が変わる。
窓は開けていません。
「私は」が消えている。冒頭の「タムラさんへ」も消え、いきなり本文が始まる。同じ時期にインクの線が細くなり、字が一回り小さくなり、右下に余白を残すようになっている。主語が消え、字が縮み、余白が広がる。少なくとも、良い変化ではない。
もう一つ。この時期のハガキに3回だけ「もう一人分のお茶を淹れました」と書かれている。2005年12月、2007年2月、2008年9月。30年間で同居人や来客の話が一度も出てこない人間が、この3回だけ「もう一人分」と書いている。
3回とも、窓の記述は「開けませんでした」になっている。
差出人住所は30年間同じだ。アオキが調べたところ、該当する建物は2010年に取り壊されていた。
ヨアケマエがすでにその住所に住んでおらず、別の場所から投函している。差出人住所は配達に影響しないから、宛先が正しければハガキは届く。ただ、なぜ存在しない旧住所を書き続けるのか。
取り壊しの前後で、一つだけ明確な変化がある。2010年以前、「開けました」と「開けませんでした」はほぼ半々だった。2010年以降、「開けました」がほぼ毎回になる。
北向きの、共用廊下に面した窓。その窓を開けることが半分の確率でしかできなかった人間が、建物がなくなった後に、毎回開けられるようになっている。
今日も窓を開けました。前はこんなに簡単なことだと思っていませんでした。
この一文を、私は四度読んだ。四度目に、読むのをやめた。
翌週のハガキには「ありがとう」とだけ書かれていた。同じ時期に一枚だけ、「今朝は早かったです。まだ暗いうちに出ました。空気が冷たいと、自分が歩いていることがよくわかります」と書かれたハガキがある。30年間で「出ました」という表現が使われたのは、この一枚だけだ。
元パーソナリティのタムラ氏に、アオキを通じて取材を申し込んだ。
ハガキの廃棄について確認した。ヨアケマエのハガキだけが残されていたことに心当たりはあるか、と。
「あるかもしれません」。覚えていないのか、覚えていて言わないのか。どちらとも取れる口調だった。
タムラ氏の番組には「夜明け前がいちばん暗い」という定型フレーズがあった。アオキに依頼して、このフレーズの使用タイミングとハガキの内容を照合してもらった。
9回中8回。タムラ氏にこの数字を伝えた。40秒ほどの沈黙があった。
この返答のあと、私は5分ほど何もメモを取れなかった。この人もまた何かを抱えたまま20年を過ごしたのだという感触が、しばらくペンを握る手を止めた。
2015年頃から、文体が変わる。主語が復活し、宛名が戻り、インクの線にわずかに力が戻る。1990年代とほぼ同じトーンだ。ただし「窓」の記述が完全に消えている。
代わりに、本文と脈絡のない一文が年に一度ほど現れるようになる。
2016年10月「あの部屋のことは、もう夢に出ません。」
2018年3月「音がしなくなりました。」
2019年8月「鍵は関係ありません。」
2021年1月「名前を呼ばれなくなって、楽になりました。」
2023年6月「許す必要はないと、やっとわかりました。」
全部、直前の文章と繋がっていません。読んでいて、急に別の時間から声が届いたみたいに感じました。
5つのうち4つは、過去の状態が変わったことを述べている。「夢に出ません」「音がしなくなりました」「呼ばれなくなって」「わかりました」。以前はそうだったが、今はそうではない、という報告だ。
3番目だけが違う。「鍵は関係ありません」。これだけが変化ではなく否定だ。鍵があったかどうかは問題ではない、と。他の4つが「今はもう大丈夫」と言っているのに対して、この一文だけが、誰かの誤解を——あるいは、よくある想像を——退けている。
閉局の正式発表は2025年4月11日。ヨアケマエの最後のハガキの消印は、前日の4月10日だった。
この点について、一つだけ可能性がある。だが今はそれを書かない。
10年ぶりに「窓」が書かれていた。
- ヨアケマエは30年間、ほぼ毎週ハガキを投稿し続けた。筆跡の経年変化から同一人物と判断できる
- 局では数年おきにハガキの廃棄が行われていたが、ヨアケマエの368枚だけが別の棚に単体で保管されていた
- 差出人住所の建物は木造2階建て4室のアパートだったが、2010年に取り壊されている。以降もハガキは届き続けた
- 消印の郵便局は差出人住所から40分離れた別の町のものである
- 「窓を開けませんでした」の翌週にタムラ氏が定型フレーズを使用した確率は、確認できた9回中8回
- 「もう一人分のお茶」が出現する3回は、いずれも「窓を開けませんでした」の回である
- 最後のハガキは閉局の公式発表前日の消印である
- ヨアケマエの本名、性別、年齢
- 「窓」が何を意味していたか
- 閉局情報を発表前に知り得た経路
- ハガキを廃棄対象から外した人物。タムラ氏は「言ったことがあるかもしれない」と述べるにとどまる
- アオキが最初に数えた369枚目がどこへ行ったのか
- ハガキの内容がすべて深夜帯の出来事に限られている。30年間で、昼間の記述が一度もない
- 断片フレーズ5つのうち、「鍵は関係ありません」だけが変化の報告ではなく否定文である
- 窓の記述の直前に現れる空白行の位置が、縦書きにおける宛名の書き出し位置と一致する
- タムラ氏は「気づいた上で、何もしなかった」と述べている。何に気づいていたのかは、語られていない
取材の最後に、タムラ氏がこう言った。「あの人は、聴いてもらっているだけでよかったんだと思います。ただ、どこかに届いている。それだけが必要だった人なんだと」
アオキからの最後のメールには、こう書かれていた。
この人は、昼の空気を知らなかったんじゃないですか。
その問いに対する答えを、私は持っていない。
ヨアケマエが何者で、なぜ30年間書き続け、窓がその人にとって何を意味していたのか。「鍵は関係ありません」とは何のことなのか。閉局を誰よりも早く知っていたのはなぜなのか。
断定できることは一つだけだ。ヨアケマエは、30年間、一度も返事を求めなかった。読まれたかどうかの確認も、自分が誰であるかの説明も、一度も書いていない。ただ送り続けた。存在しない住所から、届くかどうかもわからない場所へ。
花弁が5枚の、小さな一輪。
30年間で一度も見せなかったものを、最後にだけ見せた、という事実だけが残っている。
- 差出人住所に該当する建物について情報をお持ちの方
- 「ヨアケマエ」というラジオネームに、別の番組やメディアで遭遇した方
- 閉局したコミュニティFM局の放送記録を保管している方
そのバスの始発は午前5時だ。
夜明け前に走り始める路線だということを、記しておく。