
CASE-061 / 未解決
投稿者の個人情報は削除・改変しています。資料の真偽については各自でご判断ください。
投稿者はカワノと名乗る30代の男性。地方都市で個人事業の宅配を営んでいるという。文面の末尾に「夜中に思い出すんで、もう書いておきたくて」と添えられていた。
写真は3枚。住宅街の家屋の側面。記号は「N-7」「N-12」「K-3」。書体は同じ印刷シールのようだ。
カワノ氏に追加で確認した。
二割弱、という規模は、業者の単なるマーキングにしては多すぎる。福祉訪問のメモにしては露骨すぎる。粘着跡が世代をなしているという指摘が、頭に残った。判断を保留して、仮説を一つずつ潰すことにした。
想定される仮説を順に当たった。
業者の符丁:宅配・郵便・新聞販売のいずれにも、このような規格のマーキング文化はない。現場の符丁はチョークやテープで残されるのが一般的で、印刷シールが広域に展開される例は確認できなかった。
福祉団体のマーキング:地域包括支援センターおよび社会福祉協議会いずれも、「対象世帯を外見上識別する形でマークすることはあり得ない」との回答。
犯罪下見:「アポ電」や空き巣のマーキング事例は報道されているが、より目立つ位置に、より単純な記号が使われるのが通例。十年以上同じ規格を維持し続けている点も合わない。
インフラの点検シール:ガス・電気・水道・通信、いずれの規格にも該当せず。
仮説はいずれも当てはまらないか、当てはまるには無理がある、というところで止まった。ステッカーは配達ドライバーには見える位置に、住人には見えない位置に貼られている。これは偶然の選択ではない。
取材の途中で、カワノ氏から短いメールが届いた。
カワノ氏のバッグは個人所有で、配達中以外は自宅に保管されている。
家への印は「その家を識別する」目的に解釈し得るが、バッグへの印は「その人物の動線を辿る」目的に近づく。意味が違う。
「これまでバッグを長時間目を離した場面」を尋ねると、挙がったのは三つ。配達中の昼食、配達先での待機中、自宅前に車を停めたまま夕食をとった日。いずれも数十分から一時間。
別件のように、もう一通追加のメールが届いた。「最近、配達してて、見られてる気がすることが多いです」。
カワノ氏の紹介で、同じ地区で以前まで宅配の仕事をしていたタカハラ氏(40代男性、現在は別業種)に話を聞いた。
「ずっと前から思っていた」という言い方が、少し気になった。気にしていない人は、ずっと前から思ってもいないものだ。
タカハラ氏に「今でも見かけることはあるか」と尋ねた。「最近は配達やってないから見ない。だけど、見ない場所で見たことがあるよ」と答えた。詳細を聞くと、「いや、なんかそんな気がしただけ」と笑って話題を変えた。
別れ際、タカハラ氏は脈絡なく「最近、知らない番号から電話が来るんだよね。出ても無言なんだ」と言った。それも気にしてない口調だった。
仮説がいずれも当てはまらないなら、ステッカーの記号自体に意味があるのではないか。カワノ氏から、貼られた32軒の住所と記号の対応表を提供してもらい、地図上にプロットして整理した。
アルファベットには地理的な偏りがあった。N=北、K=中央、M=南東、S=南西。担当エリアを4区画に分けるとほぼ対応する。数字は、各区画内である順序に従って付番されているように見えた。番号順に地点を結ぶと、4本の折れ線が描かれた。
ここまでは綺麗に通る。問題はその先だった。
カワノ氏から半年前の対応表も合わせて送ってもらっていた。同じ家屋の同じ位置に貼られていたはずの番号が、現在のものと一致しない家が複数あった。半年前「N-9」だったメーター脇が、いま「N-3」になっている。番号は固定されておらず、貼り替えのたびに付け直されている。
折れ線の形も半年で変わっていた。北部の終点は半年前のほうが東に150メートルほどずれ、別の地点を指していた。同じルールで読み取れる地図が、半年で別の場所に向く。
さらに、南東区画について妙な点があった。番号「M-1」から「M-14」を順に結ぶと、自然な流れの中に一箇所だけ、いくら確認しても住所が存在しない地点が含まれた。地番として欠番なのではなく、現実の街区上にその座標が存在しない。
体系として読み取れる。だが、体系として閉じない。
それでも、現時点の対応表で読み取れる範囲では、1地点について日付と時刻が浮かび上がった。市内の小さな児童公園、5月のある木曜日、午後7時。他の3地点については数値が一意に定まらなかった。
私はいま、何度も書き換えられている体系の、ある一瞬の断面を見ている。試しに行ってみることにした。
5月のある木曜日、午後6時50分に現地に着いた。
小さな児童公園で、ブランコと滑り台、ベンチが2つ。周囲は住宅街で、人通りは少ない。
公園内には、年配の男性が一人、奥のベンチに座っていた。スマホは持っていない。本も雑誌もない。何もせず、ただ正面を向いて座っている。私が手前のベンチに座ると、視界の端で確認するように、ほんの一瞬だけ顔の角度が変わった。
午後7時ちょうど、男性が腕時計を見た。それから周囲をゆっくり見回した。私と目は合わなかった。
午後7時2分、自転車が公園の入口を通過した。中年の女性、前カゴに買い物袋。
午後7時14分、同じ自転車が、同じ方向に再び通過した。前カゴの中身は同じに見えた。
午後7時15分、男性が立ち上がって公園を出ていった。私とは反対側の出口だった。
7時半まで座って、それから帰った。帰路で、来るときに通った路地に入ろうとして、足が向かなかった。一本ずれた、明るいほうの通りを選んで歩いた。なぜそうしたのか、自分でも説明がつかない。
帰宅して靴を脱いだとき、左足の靴底に青い粘着剤が薄く付着していた。爪ほどの大きさで、わずかに四角い輪郭が残っていた。公園内で何かを踏んだ覚えはない。粘着剤はぬるく、まだ完全には乾いていなかった。
その日のことは、記事の中で「特に進展なし」と書いて締めようとしていた。観察に値する出来事は、何も起きていない。記事はここで一度終わるはずだった。
記事を仕上げる前に、もう一つだけ確認しておきたいことがあった。
カワノ氏が担当エリアを引き継いだのは3年前。前任者のタナカ氏(50代男性)に「ステッカーに気づいていたか」を尋ねた。
タナカ氏から送られてきた書き写しには、地点番号と地名がいくつか並んでいた。地名はカワノ氏の対応表とは異なるエリアのもので、付番体系も現在と違っていた。アルファベットがT・H・Y・Iの4種類。
タナカ氏に「その後、変わったことはあったか」と尋ねた。少し考えてから、こう答えた。
その家族が今どうなっているか、タナカ氏は知らない。連絡は途絶えている。
タナカ氏は「気づいて、解いて、現地に行って、何もなかった」までを経験している。私と同じ経路を辿っている。
記事の公開を翌日に控えた夜、原稿を最終確認していて、ふと気になった。自分の家の中をひととおり見て回った。
玄関のドアスコープの内側、リビング側に、爪ほどの青いステッカーが貼られていた。「N-7」。
仕事机のPCモニターの背面の、ケーブル接続部の脇に、もう一つ。「K-3」。
玄関ポストの底にも一つ。「M-4」。これはカワノ氏のバッグに貼られていたのと同じ記号だ。
いつから貼られていたのか、まったく分からない。いずれも視界の隅に入ってこない位置にあった。
家屋の外側に貼られた32軒のステッカーを思い返した。ガスメーター脇、室外機の側面、郵便受けの裏。いずれも、住人が直接見はしないが、住人が毎日その前を通る位置だ。
自宅で見つけた3箇所も同じだった。ドアスコープは出かけるときに必ず覗く。モニターは仕事中、ずっと前にある。ポストは帰宅のたびに開ける。一日のうち、私が繰り返し体を寄せる場所に、過不足なく一つずつ貼られていた。
「家屋を識別する」ためではなく、「私の動線を識別する」と読むほうが自然な位置どりだった。
写真を撮ろうとしたとき、フラッシュが点灯した。普段は自動でオフにしている。設定を確認したが、自動オフのままになっていた。
それから玄関に戻った。靴の並びが、自分の置き方ではなかった。ポストには鍵がついている。底に手を入れるには、鍵を開ける必要がある。鍵は私と家族しか持っていない。
確認できた範囲で写真を撮り、剥がさずにそのままにした。
- カワノ氏の担当エリア内の32軒に規則性を持つ青いステッカーが貼られ、剥がしても一定期間後に別の家に新しいものが現れる。「アルファベット=区分/数字=順序」として一定の解析は可能だが、同じ家屋の番号が時期によって書き換えられており、体系は固定されていない
- タナカ氏は10年以上前から同様の現象を観察しており、当時は現在と異なる付番体系(T・H・Y・I)が使われていた
- カワノ氏の配達バッグ、および管理人の自宅内にも、同じ規格のステッカーが貼られている。位置はいずれも「対象者が日常的に繰り返し体を寄せる場所」に限られる
- 解読された折れ線の終点に行った人物が、観察されているのか、観察されていないだけなのか
- タカハラ氏の発言と、現在彼にかかってくる無言電話との関係
- タナカ氏の前任エリアで、ある家族の年賀状から名前が一人ずつ消えていった経緯
- 記号体系を「人にも番号が振られている」と読んだ場合、カワノ氏のバッグの「M-4」、管理人の自宅の「N-7」「K-3」「M-4」の組み合わせが何を意味するのか、結論は出ない
- 南東区画の番号を順に結んだ折れ線の中に、現実の街区上には存在しない地点が一つ含まれていること
- 帰宅後、管理人の靴底に付着していた青い粘着剤の輪郭が、ステッカーとほぼ同じ大きさだったこと
記事の公開直前に、ブログの問い合わせフォームに一通のメールが届いた。件名なし。本文一行。
送信元のメールアドレスは複数の中継サーバーを経由したもので、特定は難しかった。
カワノ氏には、自宅の写真を含めた経過を共有した。返信はまだ届いていない。
- 宅配・郵便・新聞配達などの業務中に、「アルファベット-数字」形式のステッカーを継続的に目撃した経験のある方
- 特定の地点に出向いた後、何らかの接触や観察を感じた経験のある方
- 本記事中の記号、または過去の体系「T・H・Y・I」の付番に心当たりのある方
管理人ひとりを指すのか、それとも、もっと広い範囲を指すのか。
いまも、わからない。
