
CASE-029 / 未解決
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投稿者はナカムラと名乗る30代の女性だ。地元の占い師について相談したい、と書かれていた。
「年が明けたら、職場で席替えがあるかもしれない。近くに座る人との相性は悪くない」
「2月ごろ、右のお腹のあたりに鈍い痛みが出やすい。冷たいものを控えたほうがいい」
「春先に、少し大きな出費がある。でも必要な出費だから迷わないでいい」
占いが当たった、という相談は珍しくない。大半はコールドリーディング——相手の年齢・服装・話し方から情報を推測し、確率の高いことを曖昧に言う技法——で説明がつく。
ただ、ナカムラの報告にはいくつか引っかかる点があった。「右のお腹」。部位を左右まで指定している。話し方から内臓の弱い側は読み取れない。「席替え」も「給湯器の故障」も、対面の観察だけでは導けない。
もうひとつ。ミヤケは鑑定の冒頭で、十数年前にナカムラの母が訪れたことを覚えていた。個人経営の占い処で、十数年前の客を名前だけで思い出す。記憶力の問題で片づけるには、不自然な精度だ。
ミヤケの占い処について、ネット上の情報を調べた。
口コミサイトやSNSでの言及は少ない。地方の商店街の個人営業であれば不思議ではないが、見つかった投稿にはいくつかの傾向があった。
「地元の人しか知らない」「紹介でしか行けない雰囲気」「遠くから来た人には曖昧なことしか言わないらしい」。
最後の一文が気になった。遠方の客には精度が落ちる。能力であれば距離は関係ないはずだ。コールドリーディングであっても、対面していれば同じ手法が使える。
精度が「地元かどうか」で変わるとすれば、それは話術の問題ではなく、情報の問題だ。
ナカムラに追加で確認した。
先代もいた。同じ場所で、同じ業態を、少なくとも二世代にわたって営んでいる。
ミヤケの占い処がある商店街について、自治体の商店会名簿と過去の地方紙記事から情報を集めた。占い処の両隣にどんな店があるか、どの店が何年から営業しているか。その過程で、かつて金物屋を営んでいたコマツという人物の名前が出てきた。商店会の元役員だ。連絡先を調べ、直接メールを送った。
最後の一文が耳に残った。
ここまでの情報を整理した。
鑑定の冒頭で、ミヤケは必ず名前と住んでいる地域を聞く。ナカムラの母が十数年前に訪れたことを、名前だけで特定した。自宅には百冊を超えるノートが保管されている。先代の母親も同じ場所で同じ業態を営んでいた。
ナカムラの母の友人にも話を聞いた。ナカムラ経由で質問を送り、返ってきた回答の中に、「ミヤケさんが鑑定のあとにすぐ机に向かって何か書いているのを、窓越しに見たことがある」という一文があった。
そして、遠方の初見客に対しては精度が著しく落ちる。
仮説は一つに絞られつつあった。
ただ、これはあくまで状況証拠からの推測に過ぎない。ノートの中身を確認した人間はいない。メールのやり取りだけでは、これ以上の裏付けが取れなかった。
仮説が正しければ、確かめる方法はひとつだった。データのない人間として鑑定を受ければいい。私の名前も住所も、あの商店街の記録には存在しない。
ミヤケの占い処は予約制だが、直接電話をかけた。訪問のことは誰にも伝えていない。ナカムラにもコマツにも、事前に知らせなかった。
偽名を使った。住んでいる地域も、実際とは異なる遠方の県を伝えた。
占い処は商店街の端にあった。間口の狭い、古い引き戸の店で、看板は小さく、注意していなければ通り過ぎる佇まいだった。
ミヤケは奥の椅子に座っていた。小柄な女性で、白髪を短く整えている。穏やかな顔だった。机の上には湯呑みがひとつ。ナカムラの言った通り、道具は何もなかった。
名前と地域を告げると、ミヤケは少し黙った。それからゆっくりと話し始めた。
「遠くからわざわざ来てくださったんですね」
「環境が変わるときですね。でも、あなたはどこにいても自分のやり方を持っている人だから、心配はいらないと思います」
「人間関係は——そうねえ、深く関わりすぎないくらいがちょうどいいかもしれません」
曖昧だった。どれも、誰に対しても言えることだ。
ナカムラに対する鑑定の精度とは、明らかに質が違った。「右のお腹」も「席替え」も「給湯器」も出てこない。代わりに出てくるのは、当たっても外れても確認しようのない、輪郭のない言葉ばかりだった。
鑑定は20分ほどで終わった。席を立ち、財布から3000円を出した。ミヤケは微笑んで受け取った。
帰ろうとした。引き戸に手をかけた。
背中に、声が届いた。
「——ナカムラさんのことでしょう」
振り返った。ミヤケは椅子に座ったまま、湯呑みに手を伸ばしていた。こちらを見ていた。目が合った。
何も言わなかった。湯呑みに口をつけて、ゆっくりと置いた。
それだけだった。
引き戸を閉めて、商店街を歩いた。駅までの道を、何を考えていたか、よく覚えていない。
- ミヤケは地元住民に対して高い精度で助言を行っている
- 遠方の初見客に対しては精度が著しく低い
- 自宅に百冊以上のノートが保管されている。連番で、古いものは日焼けしており、数十年分の蓄積と推定される
- 鑑定の冒頭で名前と地域を聞き、鑑定後に何かを書き留めている
- 先代(母親)も同じ場所で同じ業態を営んでいた
- 管理人が偽名と遠方の地域を名乗って鑑定を受けた際、鑑定内容は曖昧だった
- ノートの全容。中身を確認した人間がいない
- 先代が記録を始めた動機
- ミヤケが管理人の来訪目的をどのような経路で知ったのか
- 管理人は偽名を使い、ナカムラやコマツには訪問を事前に知らせていない。ナカムラがこのブログに投稿したことを知っているのは、ナカムラと管理人だけだ
- ミヤケがナカムラの名前を知っていること自体は不思議ではない。長年の常連の娘であれば、記録があってもなくても覚えていて当然だ
- しかし、偽名を使った初見の客がナカムラの件で来た、という情報は、地元で何十年暮らしていても手に入らない
- 鑑定中の20分間と、最後の一言は、別の人間が喋っているように見えた
ナカムラには、調査結果を伝えた。ミヤケの鑑定の大部分は、長年蓄積された情報に基づく助言である可能性が高い、と。ミヤケを訪ねたことは伝えなかった。何を言われたかも、書かなかった。
ナカムラは「すっきりした」と返信してきた。
数十年にわたって他人の生活を記録し続ける行為を、善意と呼ぶべきか執念と呼ぶべきかは、私にはわからない。ミヤケのノートは、地域の人々の暮らしを見守り続けた記録かもしれないし、知られないまま観察され続けた人生の束かもしれない。見方によって、まったく違うものに見える。
一点を除いて、合理的な説明は成立する。
この記事を書き終えて、ふと考えた。届いた投稿を分類し、投稿者の言葉の癖を読み、相談の内容から生活の輪郭を推測する。季節ごとに届く相談の傾向を、私は把握している。春は職場と学校、冬は人間関係。それを調査に必要だからやっていることだと、ずっと思っていた。
ミヤケのノートと、私の受信箱。並べて考えたとき、違いがどこにあるのか、すぐには答えが出なかった。
- 地方の占い師で、数十年にわたって高い精度を維持している事例をご存知の方
- 鑑定のあとに何かを書き留めている占い師を見かけたことがある方
ナカムラが投稿の中に書いていた一文を、何度も読み返している。
「見られている、というより、見てもらっている、という気持ちに近かった。」
