
CASE-025 / 未解決
投稿者の個人情報は削除・改変しています。資料の真偽については各自でご判断ください。
投稿者はニシムラと名乗る30代の男性だ。建設会社に勤めており、地元の廃校の解体前清掃ボランティアに参加したという。
以下、原文をほぼそのまま掲載する。
添付されていた写真を確認した。B4サイズの厚紙に、万年筆のような筆記具で丁寧に書かれている。以下が全文だ。
一読して、道徳教育の範囲内に見えるかもしれない。私には、そうは見えなかった。
まず、この学校の基本情報を確認した。
学校は1970年代に開校し、2025年度末に閉校している。最盛期には全校児童400名を超えたが、閉校時は60名を下回っていた。郊外のニュータウン開発とともに設立され、人口減少とともに縮小した、典型的な経緯だ。
ニシムラに追加で確認した。額縁の裏の紙は、表の教育目標とどう重なっていたか。
送られてきたのは、学級通信と道徳のプリントの写真12点だった。
学級通信は1997年度の3年2組のもので、月に一度発行されていたらしい。見出しの書体や紙面構成は一般的だ。しかし毎号、紙面の右下に「今月の心得」として七つの心得のうち一つが引用されている。教科としての道徳の時間とは別に、学級通信を通じて繰り返し提示されている。
さらに気になったのは、道徳プリントのほうだ。
プリント自体は「思いやりについて考えよう」「友だちとの約束」など、ごく普通の内容だった。しかし余白に、鉛筆で小さな書き込みがある。児童の名前——おそらく下の名前だけ——と、短いメモ。
教員の指導メモだと思えば、それで済む書き込みかもしれない。
ただ、「内側」「外側」という分類が何を意味するのか、このプリントだけでは判断できなかった。「感謝を知っている子」という添え書きが、六番の心得と同じ言葉を使っていることには、この時点で気づいていなかった。
当時の教員を辿った。閉校時の記念誌に歴代職員の一覧があり、ニシムラがそのコピーも送ってくれていた。1996年度から1999年度にかけて3年2組の担任をしていた教員の名前があった。ササキ、とここでは書く。
ササキ氏は現在60代で、退職後は市内に住んでいる。ニシムラを通じて連絡を取り、メールでのやりとりに応じてもらえた。
もう一点、聞いた。
私はPTA議事録の所在について聞いた。ササキ氏は議事録には答えず、当時の人たちの善意について語った。
ニシムラが追加で送ってきたプリント写真を、すべて精査した。
反応メモが確認できたのは8枚。児童の名前は全部で14名分。そのうち「内側」と明記されていたのは4名。「外側」は6名。残り4名は分類の記載がなく、反応のメモだけが書かれていた。
メモの書き方を並べて読むと、一定の基準が見えてくる。
「内側」に分類された児童は、心得の暗唱が早く、内容への疑問を口にせず、家庭に話を持ち帰らない子だ。「外側」は逆で、「母親に話した」「なぜと聞いた」「プリントを持って帰った」といった記述がある。
「リナ 母親に話した→注意」の「注意」が、リナに対する注意なのか、リナの母親に対する対処なのかは、この書き方では判断できない。
「タクミ 3回目で泣かなくなった」。これが何の3回目なのか、なぜ泣いていたのか。道徳プリントの余白に書かれる性質の情報ではない。
「内側」の4名のうち、名前と学年・クラスが特定できたのは3名だった。閉校記念誌には卒業生の名簿は掲載されていない。ただ、卒業アルバムの集合写真に添えられた名前の並び順と、反応メモの下の名前を照合することで、フルネームの候補を絞ることはできた。3名とも1997年度の3年生——ササキ氏のクラスだ。
同じ方法で「外側」の児童も確認しようとした。6名のうち、1997年度の集合写真で名前が一致したのは4名。翌年度の集合写真と照合すると、そのうち2名の名前がなかった。転校したのかもしれない。それ以上のことは、アルバムからはわからない。
「内側」の3名について、同姓同名のSNSアカウントを探した。1名と連絡が取れた。
ハヤシ、と書く。30代後半、市内在住。現在の職業はメールには書かれていなかった。
最初の返信は丁寧だった。
学校生活について聞くと、流暢に答えた。給食の話、運動会の話、担任のササキ先生は穏やかな人だったこと。記憶は具体的で、話し方にも淀みがなかった。
聞き方を変えた。
間を置いて、もう少し具体的に聞いた。
三度、同じ形式の応答が返ってきた。
「覚えていません」。質問の内容が変わっても、答えの形が変わらない。記憶を探っている時間がない。考えている気配がない。聞かれたら、こう答える。そういう反応に見えた。
ハヤシとのやりとりを最初から読み返した。
読み返さなければ、気づかなかったと思う。
ハヤシの返信は、毎回こちらの質問に丁寧に答えた後、自然な雑談として質問を返していた。最初のメールで「お一人で運営されているんですか」。学校生活の話の流れで「お住まいもこちらの市内なんですか」。最後のメールで「関係者の方は皆さん協力的ですか」。
私は返信の中で、一人で運営していること、取材で地方に出ることがあること、おおよその居住地域について、答えていた。聞かれたから答えた、という意識すらなかった。雑談の中に紛れていた。一度も不自然だと感じなかった。
読み返して初めて、ハヤシのすべての質問が同じ方向を向いていることがわかった。管理人は何人いるのか。どこにいるのか。誰が協力しているのか。
穏やかに、丁寧に、会話の温度を一度も変えずに。
七つの心得の文言について、出所を調べた。
心得の一部をそのまま検索しても、直接的な結果は出てこなかった。「光のある方へ歩きましょう」「導く人の言葉をよく聞きましょう」といった文言は、どれも一般的な道徳の範囲に収まるため、ノイズに埋もれる。
手法を変えた。七つの心得全体の構造——七項目、命令文、順序性、最終項目が「忘却」で終わる——を特徴として、宗教教義のアーカイブサイトを横断的に検索した。
一致したのは一件だ。
「共明会」。1990年代に設立され、2003年に解散届が提出されている教育系の宗教団体。規模は小さく、会員数はピーク時でも200名程度とされている。教義の中核は「正しい道徳の実践を通じた社会の浄化」。発見されたアーカイブには、入会者向けの教義要旨が掲載されており、そこに記された「実践の七項」が、七つの心得と文言・構造ともにほぼ一致した。
共明会の活動地域は公開情報からは限定できなかったが、団体の代表者の住所が、この学校のある市内に登録されていた。
- 額縁の裏に掲示されていた「七つの心得」が、1990年代の宗教団体「共明会」の教義文書と文言・構造ともに一致する
- 道徳プリントの余白に児童の反応記録が残されており、「内側」「外側」の分類が行われていた
- 「内側」に分類された児童の共通点は、従順さと家庭への情報遮断
- 「内側」に添えられた「感謝を知っている子」は、七つの心得の六番と同じ語を用いている
- PTA議事録の1996〜1999年度分が綴りごと欠落している
- 反応メモの筆者が誰であるか(ササキ氏か、保護者か、それ以外の人物か)
- 「内側」の児童に対して、放課後にどのような指導が行われていたか
- PTA議事録が意図的に処分されたのか、偶然紛失したのか
- ササキ氏は何をしたかは語らず、動機の善意だけを語った。弁護の対象が見えない弁護だった
- 「内側」に分類された児童と、七つの心得の六番「選ばれたことに感謝しましょう」の間にある対応関係
- ハヤシが会話の中で情報を引き出す手つきは、意識的というより身体化されたもののように見える
七つの心得の全文を含む記事を公開した。
翌週、一件の連絡が届いた。
読者Aに詳しく聞いた。
添付写真を確認した。紙面のデザインは異なるが、文言の構造は七つの心得と同一だった。「おまじないみたいで楽しい」という子どもの言葉を、私はしばらくの間、画面の上で見つめていた。
同じ週に、ブログの問い合わせフォームに別のメッセージが届いた。
文体は丁寧だった。一般の読者を思わせる書き方だ。
メールアドレスのドメインを確認した。フリーメールではなく、独自ドメインだった。そのドメインをブラウザで開くと、ある教育支援NPOのウェブサイトに繋がった。
NPOの名前は伏せる。
サイトには「理念」のページがあった。
「光の方へ歩む力を育てます」
「信じることから始める教育を」
「内なる声を大切にする子どもたち」
七つの心得を現代の教育用語で書き直したら、こうなるのではないか。そう思えるものだった。
サイトには「提携校一覧」のページもあったが、閲覧にはパスワードが必要だった。
もう一つ、確認したことがある。NPOが主催する教育セミナーの案内ページに、講師一覧が載っていた。そこに、ハヤシと同姓同名の人物が「元教員」の肩書きで掲載されていた。
私が確認した範囲では、ハヤシは教員免許を持っていない。
共明会の解散届が提出されたのは2003年。NPOの設立登記は2005年。
ハヤシに、もう一度だけ連絡を送った。NPOのことは書かなかった。ただ、「七つの心得の全文を記事に掲載しました」とだけ伝えた。
私は、この質問には答えなかった。
- 「共明会」またはその関連団体について情報をお持ちの方
- お子さんの学校で、類似した文言を含む教材・学級通信を見かけた方
- 「七つの心得」に類するものを、学校以外の場で目にしたことがある方
声に出すと、黙読とは違う感触がある。リズムが整いすぎている。一つ読むと、次を読みたくなる。七つ読み終えると、最初に戻りたくなる。
子供が毎朝これを唱和していた。声を揃えて、教室で。意味などわからないまま、体に染み込ませていた。
30年経ったハヤシは、穏やかな文面で「覚えていません」と書いた。
七つの心得の七番を、もう一度読んだ。
